古典ギリシャ語「中級の下」からの脱出法!

さて、今回は古典ギリシャ語の「中級の下」からできるだけ早く脱出する方法を、具体的な教材名を挙げて提案してみたいと思います。
まずお断りしなければならないのは、私自身は紛れもなくギリシャ語中級レベルであり、「中級の下」から脱出しつつあるか、脱出したとしてもまだ間がないという点です。
しかし、私はギリシャ語「中級の下」の段階で3年ほど苦しみ、しかもまだそれほど時間が経っていないわけですから、この時期に私が言えることは、同じように悩んでいる方々に益するところが大きいと思います。

ギリシャ語初級・中級・上級の定義については、下記の記事で述べてみましたので、そちらをご参照ください。
「古典ギリシャ語初級・中級・上級の能力区分を考えてみました。」

・「中級の下」で目標にすべきはギリシャ語の「型」を身につけること!

全てに言えることですが、何かをマスターしようとすれば、その何かの基本的な「型」を身につけて、そこから追加の情報を、その「型」の中で位置付けていくことが最も効率的です。
そうでないと、体系化されていない情報を脳みその中に積み込んでいくだけで、脳みその中がただのゴミ箱のようになってしまうのです。ギリシャ語も同様であり、無秩序な状態でギリシャ語を理解することはできないでしょう。

・読み方の「型」に従う!

まずはギリシャ語の読み方の「型」を見ていきましょう。
入門クラスが終わり、実際に原典読解に入ってみると、早速手に入れた断片的な知識を使って、文章の頭から理解していこうというスタイルになりがちです。
しかし、古典語の読み方には「型」というものがあり、まずはそれに則っていかないと、文全体の理解が滞ってしまいます。
読み方の基本的な「型」は次の通りです(先生からの受け売りです。)
・まず定動詞を見つける

・その定動詞の主語を見つける

・定動詞の目的語を見つける

・そのほかの語(形容詞、副詞、小辞など)を理解する

定動詞と主語、そして目的語さえわかれば、文の基本構造はこれで十分です。そうすると、後の単語の情報は以上の3つの言葉の飾り付けですから、文の意味を理解しながら情報を追加していくことができます。
副文がある場合は、副文中の定動詞、意味上の主語、目的語を抑えておくと良さそうです。
これを、もし文の頭から理解していこうとすると、文の構造の理解が後回しになってしまい、間違った理解の上に間違った理解を重ねることになりかねません。今の能力段階では絶対に避けるべきでしょう。
これが上級レベルになると、頭から見ていっても文構造が予想できるのでしょうね・・・羨ましい限りです。

・文法情報をシンプルに体系化してくれる「座右の参考書」をボロボロにする

読み方の「型」は理解できるにしても、それに則って解読していくのは簡単ではありません。
まず主要な動詞の活用や名詞・形容詞の曲用について記憶できていなければなりませんし、条件文や原因節など、副文についての知識もまとまっていないと、やはり闇雲な理解になってしまいます。

そこで、単語の形態論と構文論に関して、自分に合った参考書をなんども見返して、血肉にする必要があると思います。
プライドが高いと、この段階で、
smythの「Greek Grammar」や、
Goodwinの「A Greek Grammar」
といった定番でかつ最高権威の参考書を手元に置こうとするのかもしれませんが、普通の人は避けた方がいいと思います。もちろん、本当に頭の良い人はそれで行けると思いますが、私には無理でした。はっきりと言います。というのは、鬱蒼と茂ったギリシャ語の森林の中の細かい用例とその説明はたくさんあるのですが、ここからはギリシャ語の体系、すなわち「型」の全貌が全然見えず、余計に道に迷ってしまい、脳みその中がゴミ箱と化していってしまったからです。

そこで私が強くおすすめするのは、
Oxfordが出している「Grammar of Classical Greek」
これです!

この本は、もちろん英文ですが、シンプルな英語でわかりやすくまとまっていることに加え、ページ数も250ページ程度に抑えられており、中級前半の段階で血肉にするにはもってこいの分量です。
さらに、その内容は薄いのかと思いきや、散文を理解するのに必要十分な情報量を盛り込んでいます。
なんというか、中級レベルの人が迷いやすいところをしっかりとフォローしてくれて、一方で余計な説明はないのです。
混同しがちな紛らわしい単語についても、その一覧が掲げられていたり、至れり尽くせりです。
また、わかりやすい変化表ももちろん整備されています。変化表の下部に注意書き的な説明部分があり、それもまたとっても親切なのです。

もちろん、田中・松平の「ギリシア語入門」や、そのほか講義で使った教科書を復習する形でも良いと思います。
ただ、Oxfordのこの本はとても要領よくまとまっており、見開き2ページ、または4ページで一項目をまとめており、何かとつけて参照がしやすいですし、「型」を把握するのにうってつけなのです。
また、いずれはSmythやGoodwinを参照しなければならない日が来ることを考えれば、この本で英文による説明に慣れておいても良いと思います。

・ボキャブラリーは必須!自然にはなかなかボキャブラリーは増えない!

さて、人間には許容できる刺激量というものがあります。
あまりにも膨大な情報量になって来ると、頭が働かなくなるという経験はどなたにでもあるでしょう。
ギリシャ語もそうではないでしょうか。つまり、辞書を引きながら原文に当たっていると、初心者ほど情報過多の状態に陥り、文の理解への障壁が高くなってしまいます。
具体的には、原文に出て来る各単語の意味が理解できず、それを一つ一つ辞書に当たって意味を調べようとするところ、辞書の中の例文もまたギリシャ語であり、当該単語の項目とにらめっこする時間が長くなり、必然的に情報過多の状態に至るのです。これに加えて構文を調べようとして参考書に当たるとより一層そうです。
これは非常なストレスであり、下手をするとギリシャ語と疎遠になってしまいかねない落とし穴です。特に入門を終えたばかりの「中級の下」の私には重くのしかかりました。

このストレスの最な原因は、ギリシャ語のボキャブラリー不足だと思います。
そこで、ギリシャ語ボキャブラリーについては、早くから増やすことを考えると良いのではないでしょうか。
古典語は辞書を引きながら読み込んでいくのが普通のため、ボキャブラリー対策はあまり重視されない傾向があるようです。しかし、やはり基礎語彙を早くから身につけておくかどうかで、その後のストレス負荷が全然変わりますから、「中級の下」を早くに脱出するにはボキャブラリー対策は必要だと思います。

ボキャブラリーは、かつて英単語を覚えた時のように、単語集で覚えるのが一番効率的でしょう。
私は、日本語のものと英語のものを両方使いました。
恥ずかしながら英語で覚えるというのは頭に入ってきにくかったので、英語のものでは日本語の意味を手書きで併記しました。
日本語で書かれた単語集としては、
「古代ギリシャ語語彙集」
英語で書かれた単語集としては、
「Classical Greek Prose: A Basic Vocabulary」
が良かったです。

「古代ギリシャ語語彙集」は、前半の基礎語彙のみでとりあえずは良いのではないでしょうか。
また、ここの基礎語彙をおおよそ覚えると、後者がグッと覚えやすくなりました。

・辞書はなんでも良い?

「中級の下」の段階では、ストレス負荷を抑えることが必要だと思います。
なので、辞書も日本語で書かれたものでも良いと思います。
日本語で書かれたものとしては、
ギリシャ語辞典
が良いのではないでしょうか。用例もそれなりに豊富にあります。また、私は上記に挙げた「Classical Greek Prose: A Basic Vocabulary」で日本語を併記する際、この「ギリシャ語辞典」の訳を利用しました。
欠点は、持ち運び困難な大きさと、4万8600円というおよそ書籍代とは考え難い金額でしょうか。
私は解体してPDFにしてタブレットで見られるようにしました。裁断する時の決意は並々ならぬものでした。

もちろん、世界的権威である、LSJの中型版、
「Intermediate Greek-English Lexicon」
は併用していました。皆が使ってますので、なんだかんだで安心します。現在はこれがメインです。

・それでも1年は苦痛の期間?

さて、以上、古典ギリシャ語「中級の下」をできるだけ早く脱出する方法を提案しました。
しかし、それでも、原典を講読することは続けるべきだと思います。
ギリシャ語の文の流れや音を肌で身につけることの効用は無視できません。それ自体、ギリシャ語へのストレス負荷の解消に繋がります。
また、文法書だけ読んでいても、どこかで集中力が続かなくなってしまうでしょう。
結局は、上にあげた方法と、原典講読が相互に作用を及ぼしあいながら、総合的に力が伸びていくものなのだろうと思います。
ですので、やはり「型」が身につくまでの間、少なくとも1年間程度は、予習の苦痛を我慢する必要があるのかもしれません。

古典ギリシャ語初級・中級・上級の能力区分を考えてみました。

自分が古典ギリシャ語「中級の下」から脱せたのか、実際のところ定かではありませんが、1年ぶりにツキュディデスの戦史の講読に参加をし、以前に比べて飛躍的な伸びを感じられたのは事実です。
そこで、ギリシャ語「中級の下」という峠をいかにすれば脱出できるのか、書いてみたいと思います。

もっとも、その前に、この記事では、「ギリシャ語のレベル」というものを区分してみたいと思います。

ギリシャ語でいうところの初級、中級の下、中級の上、上級は以下のようなものではないでしょうか。

・初級

いわゆる入門クラスレベル。初めて学ぶ言語はやはり楽しい。ギリシャ語の名詞格変化、動詞のおびただしい量の活用、直接法・接続法・希求法の使われ方を理解する。やる気が持続すれば普通は1年間程度で卒業。

・中級の下

入門クラスを終え、原典の講読を開始したところ。各単語を見て、名詞や形容詞の格がある程度判断でき、動詞の語尾を見て、それが直接法・接続法・希求法なのか、そして人称と時制がある程度判断できる。もっとも、知っているボキャブラリーは圧倒的に少なく、一つ一つの単語に辞書を引く手間を要し、予習に膨大な時間がかかる。ペルセウス(単語の曲用・活用後の形から原型を導くことができるwebサイト。辞書にあたるのを容易にさせる。)も多用せざるを得ない。希英辞書中の例文はボキャブラリー不足のためちんぷんかんぷんであり、非常なストレスがかかる。そこであっちこっちと自分のレベルに合いそうな辞書や参考書(日本語や英語)に手を出さざるを得ない。副文が出てきた途端、それが条件節なのか、目的節なのか、結果節なのか、条件節であるとすればシンプルコンディションなのか、ジェネラルコンディションなのか、反実仮想なのかなど、すぐには判断がつかない。「ως」を見るだけで大きな不安に襲われる。そのほか副文を導入する接続詞も同じ。辞書だけでは到底構文を理解できず、邦訳を見て初めてその構文がうっすらと分かり、それに対応する参考書の項目を引くことができる。予習は基本的に苦痛である。ここを脱するには、人によっては半年。人によっては5年必要か。このレベルを脱する方法が次の記事のテーマ。

・中級の上

長きに渡った中級の下からようやく脱せ、ギリシャ語を読むことが心から楽しくなる。基本的なボキャブラリーには通じており、簡単な例文であれば訳なしで比較的スムーズに理解できる。名詞・形容詞の格変化、動詞の活用、分詞の変化については理解でき、基礎語彙であれば意味も分かる。ペルセウスは基本的に使わずに済む。副文が出てくるとそれを理解することに情熱が涌き出でてくる。副文の理解に関しては困難なく理解できる頻度が増えている。どうしても理解できない場合には訳を参考にする。「ως」はやはり曲者。完全には制することはできない。そのほか副文を導入する接続詞も同じ。それでも辞書があれば訳を見ずに理解できる頻度は圧倒的に増える。

・上級

私には未知のレベルなので言えることは少ない。。しかし先輩方の様子を見ると、どうやら辞書のみで訳の参照無しで文章の理解がほぼ可能で、副文についても困難なく理解できるようだ。この段階に至るまでには10年を要する。上級の上となると、私の師匠を見る限り、ほぼ辞書なしで文章の理解が可能。古典語学習者が目指す最終局面。学習開始から20年以上を要する?

さて、どんな事でも「中の下の峠を脱する」のが一番大変な気がします。それは仕事でも他の技能習得でも同じではないでしょうか。
私が実践したこと(していること)については、次回の記事で書いてみたいと思います。

1年間ラテン語を学んだことの感想

お久しぶりです。
本当に久しぶりの投稿となってしまいました。
久しぶりになってしまったのは、ギリシャ語と疎遠になったからではなく、ギリシャ語との格闘に悶々とした苦痛の日々と、それを脱するためにラテン語に手を出してまた疲弊する日々を送っていたためです。。

昨年の4月から今年の3月まで、ラテン語に浮気をし、1年間カルチャーセンターの講義に食らいついてきました。
ラテン語に浮気をした理由は主に以下の3つです。

・ギリシャ語と並ぶ西洋古典語であるラテン語を学んでいないのは、ギリシャ語を学ぶ者として恥ずかしいと思ったこと
・ゲルマン語の一つである英語は普通に学んでおり、ギリシャ語もある程度学んだのであるから、ラテン語も学ぶことでインド・ヨーロッパ語族全体をさらに深く理解できるのではないかと思ったこと
・ギリシャ語講読クラスのレベルが高すぎるので(先生曰く、大学院の授業よりもハイレベルとのこと)、1年間は自分のペースでギリシャ語を独習して基礎力をアップしようと思ったこと

さて、以上の理由でギリシャ語講座を中断し(もっとも独習は続けました。)、ラテン語を1年間学んだのですが、そこで思ったことは以下の通りです。
・他言語としては驚くほど活用の仕方が似ていて、文法ルールも酷似しており、ラテン語を学んでいるはずがギリシャ語の基礎的な部分の復習になる
・新しく言語を本格的に学ぶには、やはり並大抵のエネルギーでは足りない
・ここ数年間学んできたギリシャ語への愛が一層深まった!

古典語を学ぶことの楽しさは、今となっては使われていない言語で書かれた文献を読む際に感じられるインディージョーンズ的な喜びと、解読の過程で次々とパズルの穴が埋まっていく際のため息の出るほどの達成感だろうと思います。ですので、自分の結論としては、ラテン語とギリシャ語両方やらねばならない理由はなく、自分がより喜びを感じられる方をもっと深く追求していくことで十分ではないかということでした。

そういうわけで、ギリシャ語への愛を再確認できた現在、再びギリシャ語の講読クラスに参加しました。
メンバーに若干変動がありましたが、久しぶりの再会も果たせました。

ラテン語を学習していたこの1年間も、平行してギリシャ語の独習を行なっていたのですが、思いの外その成果があったようで、2年前よりもはるかにギリシャ語が読みやすくなっていることに気づきました。
自分はこの数年、ギリシャ語の「中級の下の峠」をどうやって抜け出せるのだろうかと悩んでいたのですが、この1年間の独習によって、それを抜け出しつつあるように感じられました(もう抜け出せたのかな?)。

次回の記事では「中級の下の峠」の抜け出し方を、具体的な教材名を挙げながら提案してみたいと思います!