「ラテン語」カテゴリーアーカイブ

ガイウス『法学提要』

気づいたら久々の更新です。
ラテン語は引き続き週一で読んでいます。ガリア戦記です。
常に関心ごとが移り変わる癖があるのですが、講読や授業というのはペースメーカーとしてとても利用価値が高いものですね。
つい最近まで量子論と超ひも理論にハマり、最近はローマ法へと関心が変わったのですが、講読授業のおかげでラテン語でガリア戦記を読むという営為は続けられています。(もっとも自分の発表箇所以外はまともに予習もできないのですが・・・)

そういうわけで、現在は紀元前500年から始まりユスティニアヌス帝による「ローマ法大全」の編纂で完成に至るローマ法に接し始めたのですが、自分の仕事の原点中の原点を覗き込めるので、好奇心を維持できています。

日本語書籍でもいくつかローマ法の概要書はありますが、大学院時代に少しだけ読んだ『ローマ法の歴史』(ウルリッヒ・マンテ著)が150ページにも満たない量で手にしやすく、もっとも概観をつかみやすいものだと思います。しかし、当時の私は最初の30ページくらいで挫折した記憶があります。

最近はそれに再トライしていますが、早稲田大学がPDFで公開しているガーイウスの『法学提要』(紀元2世紀の法学教師が書いた法学の基本書)を併用して読んでいます。するとどうでしょう、スラスラと理解が進む。。。
現在の法学徒であれば当然知っている権利能力、要式行為、即時取得、時効取得、遺留分、典型・非典型契約、瑕疵担保責任といった概念やその内容が説明されているわけですが、古代の時点で相当な学術レベルに達していたことがわかります。というか、現在の制度はそこから飛躍的な発展があるわけではないですね。

そして大学院の頃とは違い読めるようになったもう一つの理由が、おそらくラテン語の基礎を学んだことにあります。どの本も重要な用語にはラテン語表記も併せて載せられてるわけですが、それを見ることでローマ人の当該制度の理解の仕方が想像できます。この点は大きいです。

ともあれ、当面はガリア戦記の講読と並行してローマ法を学びながら実務では日本の法律を使って仕事をするという変人な生活(楽しい!)を続けて参りたいと思います。

ラテン語再開!

ギリシャ語オタクで通してきた私が、再度ラテン語を勉強しています。
現在はカエサルのガリア戦記の講読に参加しています。

ギリシャ語仲間や先生にも驚かれ(?)、理由をあげようと思えばいくつかあるのですが、1つはローマの歴史を紐解いていくと、ギリシャ世界よりも現代社会と通有する部分が多いためです。私も本業では一応経営的なことをしている身ですから、現実社会や市場といった厳しい世界に対峙せざるを得ず、そこで通用する指針を自分の身に深く刻み込む必要があります。

今更ですが、どうしてもギリシャ世界というのは、悪く言うと、頭でっかちで、いかにもエリートが好む理念(真理や美など)やそれに向き合った人々を美しく奉りがちなのですが、そのために世界観が閉鎖的で可能性を自ら狭めている感は否めません。

自分が今行っていることやこれからの現象への向き合い方を考える際、現実にこれほどまでかと根ざし続けたローマからヒントを得る部分は少なくありません。

なぜ西洋古典学がギリシアだけでなく、必ずローマを範疇に入れるのか、分かる気がします。

というわけで、道を広げてローマ世界に再度一歩を踏み入れようと考え、その流れの中でラテン語に再度トライをしいる次第です。

ゆくゆくはラテン語の単語帳アプリも作成できればなと思います。ラテン語学習者は、検索ボリュームから考えて、ギリシャ語学習者の2倍程度いると思われますので!これはチャンスですかね。(もっとも、その前にギリシャ語アプリの方のバージョンアップをしなければならないのですが。なかなか手がつけられずすみません。)

ちなみに、ラテン語の教材としては、『標準ラテン文法』をほぼ全員が利用しているものと思われます。
コンパクトで必要十分な文法項目が列挙されているので、慣れている方はこれが最適かと思いますが、私は補助として、『ラテン語とギリシア語を同時に学ぶ』を併用しています。

後者の本、なかなか侮れないですよ。
ギリシャ語との対比の中で、ラテン語文法規則の組織的な位置付けの理解に資する点は素晴らしいとしか言いようがありません。また、平易な文と文例でサクサクと読めますし、間接話法や接続法の使い方の基本は載ってますので、ちょっとした参照にも適しています。読み物として通読もできます。ラテン語入門を終えたばかりのレベルで、ギリシャ語の知識が多少あるのでしたら、ぜひ本書を補助教材として使うと良いのではないでしょうか。もちろん逆の場合もしかりだと思います。

ラテン語の世界、少し時間をかけて探検してまいります。それでは次の記事まで。

1年間ラテン語を学んだことの感想

お久しぶりです。
本当に久しぶりの投稿となってしまいました。
久しぶりになってしまったのは、ギリシャ語と疎遠になったからではなく、ギリシャ語との格闘に悶々とした苦痛の日々と、それを脱するためにラテン語に手を出してまた疲弊する日々を送っていたためです。。

昨年の4月から今年の3月まで、ラテン語に浮気をし、1年間カルチャーセンターの講義に食らいついてきました。
ラテン語に浮気をした理由は主に以下の3つです。

・ギリシャ語と並ぶ西洋古典語であるラテン語を学んでいないのは、ギリシャ語を学ぶ者として恥ずかしいと思ったこと
・ゲルマン語の一つである英語は普通に学んでおり、ギリシャ語もある程度学んだのであるから、ラテン語も学ぶことでインド・ヨーロッパ語族全体をさらに深く理解できるのではないかと思ったこと
・ギリシャ語講読クラスのレベルが高すぎるので(先生曰く、大学院の授業よりもハイレベルとのこと)、1年間は自分のペースでギリシャ語を独習して基礎力をアップしようと思ったこと

さて、以上の理由でギリシャ語講座を中断し(もっとも独習は続けました。)、ラテン語を1年間学んだのですが、そこで思ったことは以下の通りです。
・他言語としては驚くほど活用の仕方が似ていて、文法ルールも酷似しており、ラテン語を学んでいるはずがギリシャ語の基礎的な部分の復習になる
・新しく言語を本格的に学ぶには、やはり並大抵のエネルギーでは足りない
・ここ数年間学んできたギリシャ語への愛が一層深まった!

古典語を学ぶことの楽しさは、今となっては使われていない言語で書かれた文献を読む際に感じられるインディージョーンズ的な喜びと、解読の過程で次々とパズルの穴が埋まっていく際のため息の出るほどの達成感だろうと思います。ですので、自分の結論としては、ラテン語とギリシャ語両方やらねばならない理由はなく、自分がより喜びを感じられる方をもっと深く追求していくことで十分ではないかということでした。

そういうわけで、ギリシャ語への愛を再確認できた現在、再びギリシャ語の講読クラスに参加しました。
メンバーに若干変動がありましたが、久しぶりの再会も果たせました。

ラテン語を学習していたこの1年間も、平行してギリシャ語の独習を行なっていたのですが、思いの外その成果があったようで、2年前よりもはるかにギリシャ語が読みやすくなっていることに気づきました。
自分はこの数年、ギリシャ語の「中級の下の峠」をどうやって抜け出せるのだろうかと悩んでいたのですが、この1年間の独習によって、それを抜け出しつつあるように感じられました(もう抜け出せたのかな?)。

次回の記事では「中級の下の峠」の抜け出し方を、具体的な教材名を挙げながら提案してみたいと思います!