「古代ギリシャの歴史」カテゴリーアーカイブ

ソロンという、時代の谷間。

ここ半年、ソロンの詩を読んでいました。
ソロンって、なんか面白いですよね。
いわゆる重荷おろし(債権者の債権を放棄させ、身体を抵当にとる債務奴隷制度を廃止)をしてギリシア7賢人の仲間入りをし、政治家としては立派で、そこそこ詩も残しているにも関わらず、作品自体はそれほど評価は高くないようです。

それはおそらく、時代のせいだと思います。本来散文であったならうまく表現できていたかもしれないことを、散文が発展していなかったために韻文で表現をするしかなかったということです。

時系列で時代区分を見るとわかりやすいかもしれません。
紀元前8世紀 ホメロス、ヘシオドス 叙事詩の時代
紀元前7世紀 サッポー、アルカイオスなど 抒情詩の時代
紀元前6世紀 ソロン
紀元前5世紀 ヘロドトス、ツキュディデス、アイスキュロス、ソフォクレスなど 歴史家、ギリシャ悲劇の時代
紀元前4世紀 プラトン、リュシアス、デモステネスなど 哲学、弁論家の時代

そう、ソロンって、本当に時代的には谷間で、ヘロドトスやツキュディデスの登場で散文が主流になる前ですから、表現手段としては韻文しかなかったようです。しかもソロンはアテナイの第一人者であり政治家ですから、その興味の対象は社会であり政治のはずです(つまり本来散文が得意とする分野)。したがって、ソロンの思想が思う存分適当な文体によって表現仕切れなかった点は否定できないと思います。

ソロンの文体は韻律(エレゲイア詩)で、単語はホメロスで出てくるようなものが極めて多かったです。私はまだホメロスに取り掛かってはいませんが、単語集のうち、ホメロスや韻文用の部分を予習・復習して臨んだところ、そのあたりの単語が頻出していました。ただ、決して読みにくいということはなく、古典期アッティカ方言とそう大差はないと思います。

そして現在、勢いに乗って、サッポーの講読に参加を始めました。サッポーは前7世紀レスボス島の大女性詩人。
ソロンに比べると、劇的に難しい。。
サッポーについてもまたお伝えできればと思います!

アルファベットの起源とは?

古典ギリシャ語と悪戦苦闘している私ですが、メタ語学と言いますか、言語自体の成り立ちというのも調べてみるとたのしいです。

私が好きなシリーズに、大英博物館双書というものがありますが、それは副題に「失われた文字を読む」とされていることから分かるように、現在では話されていない古代の言語に着目したものです。古代エジプトのヒエログリフから、メソポタミアの楔形文字、古代ギリシャ語(ミケーネ時代の線文字Bも!)、そしてマヤ文字やルーン文字に至るまで、人気の高い古代語の成り立ちや文字の特徴、言語の概要などを解説してくれています。

その中でも、「初期アルファベット」の一冊は、私が今学んでいる古典ギリシャ語の表記にも直接関連するものであり、心を揺さぶらされるところが大きかったです。もっとも、訳が悪いというより、もともとの欧米学者の書いた原典の記載が難解なのでしょうけど、時おり意味を把握するのが困難な箇所もあります。ですが、実際に発掘された資料を載せてくれていたり、各地方で使われていたアルファベットとの対比表や、アルファベットの系譜図などもあり、視覚的にもとても楽しめました。

現在私たちが使っているアルファベット。これはもともとギリシャアルファベットから来ており、エトルリア経由でローマ人により採用されたことは有名です。ローマ帝国の拡大により、ローマ帝国崩壊後も、ラテン語(ローマ人の言語)の直系子孫であるロマンス諸語(イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語など)、ゲルマン語(ドイツ語、英語、北欧語)などに採用されています。ロシアや東欧のキリル文字も、ギリシャアルファベットから来ていますね。

それでは、このギリシャアルファベット自体はどこから来たのでしょうか

それは、ローマ帝国が地中海の覇権を握るずっと前から、地中海交易で栄えたフェニキア人たちの使っていたフェニキア文字です。フェニキア人は、今で言うところのシリアやパレスチナの沿岸地域に居住していました。紀元前15世紀ころから地中海沿岸に植民都市をいくつも建設し(これはその後のギリシャ人にも似ていますが)、遠いところではスペインのあるイベリア半島にも都市を作っています。

フェニキア人は航海の民であり、商業の民でもあります。ですので、非常に実利志向が高かったのでしょう。フェニキア文字は、簡潔に抽象化・記号化し、容易に筆記できる形へ発展していきました。紀元前1050年ころには、フェニキア文字が確立されていたようです。

ギリシャ人は、このフェニキア文字を取り入れたのです。アルファベットがフェニキア文字からもたらされたことについては、紀元前5世紀のギリシャ人歴史家ヘロドトスの記述にもあります。初期のギリシャアルファベットとフェニキア文字を見比べると非常に酷似していることがよくわかります。最も古いギリシャアルファベットの資料が紀元前750年ころのものとのことですので、それより少し前くらいに取り入れられたということでしょうか。

もっとも、取り入れられた具体的な経由は明らかではないそうです。ギリシャ神話上の伝説では、テーバイの創始者カドモスがアルファベットをもたらしたとのことですが、実際はどうなのでしょう。伝説も、事実や歴史が基盤になっていることも多いですから、テーバイの交易従事者がもたらしたのかもしれませんね。ギリシャの東部、アテナイやエウボイア島の古いアルファベットが特にフェニキア文字に似ているように思えるので、エーゲ海交易の中で、ギリシャ側の交易従事者によりもたらされた可能性は高いのではないでしょうか。

もちろん、ギリシャ人は、フェニキアのアルファベットを、使い方を含めてそのまま受け継いだわけではありません。フェニキア人はセム語系であり、ギリシャ人はインドヨーロッパ語系です。言語の体系からして異なります。ギリシャ人が特に取り入れたのは、アルファベットの哲学といってもいいかもしれません。その哲学とは、あらゆる言葉の発音を、できる限り少ない記号で全て表記しきってしまうことです。実は、フェニキア文字には母音がありません。母音は文脈から判断します。つまり、全て子音です。ギリシャ人たちは、自分たちが子音では使わないフェニキアの文字を、自分たちの母音に換えて利用しました。これにより、全てのギリシャ語をアルファベットで表記できるようにしたのです。ギリシャ人は、アルファベットの哲学を完成させたものといってよいでしょう。現在の英語は、知らなければ読むことすらできない単語が多くありますが、古代ギリシャ語にはそれはありません。

ところで、フェニキア文字からアルファベットを取り入れたのは、ギリシャ人だけではありません。古代のアラム文字やヘブライ文字にも取り入れらえていますし、アラム文字はアラビア文字に受け継がれています。そう考えると、このフェニキア人たちの後世への影響力はすごい!ローマ共和国を破滅寸前にまで追い詰めたハンニバルを生んだ古代カルタゴが、フェニキア人たちの都市であったこともうなづけます。

最後に、それではこのフェニキア文字が一体どこから来たのかについて。

大親は、エジプトのヒエログリフが有力のようです。その証拠の一つが、アルファベットの「Α」。ギリシャ語では、「アルファ」と言いますが、「アルファ」という言葉はギリシャ語ではなんの意味ももたない単語だそうです。「アルファ」は、セム語系で「雄牛」を意味します。Αを逆さまにして眺めてみてください。二本のツノが生えた逆三角形の顔立ちの牛の姿が見えてきませんか?