「古典ギリシャ語」カテゴリーアーカイブ

古典ギリシャ語続行中

久々の投稿となりましたが、元気に古典ギリシャ語を続行しています。

これまで、4月以降半年にわたって、ソクラテスの弟子クセノフォンの書いた、「スパルタ人の国制」を輪読してきました。輪読コースの先生がおっしゃるには、クセノフォンは今でいうところのジャーナリストのような存在だったそうです。実際に読んでみると、なるほど、物事を客観的に淡々と語りつつ、少しばかりの評価をする。けれども事実の叙述が中心で、深い思索を探求するといった姿勢ではない。

内容としても興味深いところが多かったです。スパルタ人の結婚、出生、成長、教育、軍隊、そして王について順序立てて説明していくもので、紀元前400年ころのスパルタの制度を研究する資料としても重要な文献といえるのではないでしょうか。

ただ、非常に読みづらい。。ギリシャ語は冠詞が非常に重大な役割をもっていたり、語尾変化が豊富であるおかげで、相当に規則性が高いのですが、この作品は非常に技工的な感がありました(もっともしっかりと原典を読んだのはこれが初めてなのですが。。)。それゆえ、内容自体を楽しむという余裕はなく、文の構造を把握するのに尋常ならぬ手間がかかりました。

特に私は輪読コースは初心者でしたので、スムーズな発表ができず、ギリシャ語のベテランの方々に非常に迷惑をおかけしてしまったかもしれません。

先生がおっしゃるには、中途半端な辞書を使ったり、日本語訳を読みながら解読していくのは、力を伸ばさないとのこと。そこで私も当初はLSJのintermidiate(要するに大学のギリシャ語学習者において最も使用されている辞書)を使用していましたが、働きながら夜にちょっとカフェで予習する程度の時間しか取れない私には限界がありました。複数の辞書をPDF化してタブレットに読み込ませたりして様々な制約を取っ払おうと努力しましたが、なかなか最後までしっかりとした予習はできなかったかもしれません。日本語訳にもだいぶお世話になってしまいました。

そこで、つい先日、有料自習室を借りることにしました。ここのロッカーに辞書を入れ、平日の夜や休日に「ギリシャモード」になれる環境を作りました。これからはしっかりと予習ができるかもしれません。

10月に入って、ツキュディデスの書いた「歴史」がスタートしました。実は先生が「スパルタ人の国制」を選んでくださったのは、この書物を読むためでもあります。ご承知の通り、ツキュディデスの「歴史」は紀元前500年後期のアテナイVSスパルタの世紀の大戦争を叙述したものです。もう想像するだけでワクワクしてしまう内容ですが、この戦争を理解するためには、スパルタの国制というものも理解しないといけないわけですね。

私たちの日本はどちらかと言えば民主政のアテナイに近いですし、古典期に作られた文芸はほとんどアテナイのものですから、アテナイについては馴染みやすいでしょう。しかしスパルタについては、そのポリス名が既に抽象名詞化していることからも分かるとおり、少々理想化というか、幻影化されている風が否めません。その当時のスパルタについて、当時のギリシャ人が書いた書物を通じて学ぶことで、スパルタというポリスの実像に一歩近づけたのではないかと思います。ツキュディデスの「歴史」の理解にも役立ちそうです。

もっとも、「スパルタ人の国制」を読んでいると、ちょっと誇張されているところがありそうだとは思いました。なにせ、当時のアテナイの民のために書かれたもので、スパルタの実情を良く知らない人をちょっと驚かせてやろうという、物書きにありがちな下心はあったでしょう。なのでクセノフォンが述べるスパルタが、本来のスパルタであったかどうかはまた別の話かもしれませんね。

それでも、スパルタについて何も知らないままツキュディデスを読むのとは全然違うことでしょう。これからが楽しみです。今後は、輪読のペースに沿って、ツキュディデスの「歴史」についても、このブログで述べていければと思います!

イリアスの10世紀写本がネットで見られた!

今は素晴らしい時代です。こういうことを率先してできる欧米の大学はやはり進んでいるものと言わざるを得ません。古代ギリシャや古代ローマを自分たちの古典とみなしている彼らとしては当然なのでしょうが(なお、古代ローマ人もまた、古代ギリシャを自分たちの古典と位置付けています)。

ハーバード大学の運営するプロジェクト、‘Homer Multitext project’では、10世紀ころに書き写されたイリアスの写本をネット上で見ることができます。その画像は極めて鮮明で、実物を間近で見たときとほぼ変わらない程度です。画像を拡大すると細かい筆圧や筆の使い方を確認できます。

homermultitext.org
イリアス写本

この画像をオープンにすることで、できるだけ昔に遡った原典に近いイリアスを後世に残すこと、そして研究者の研究に資することを目的としているようです。本当にすばらしいですね。古代ギリシャ語の勉強が進んだのち、ぜひこの中世写本それ自体を読むことで、古代のすぐれた作品の真髄に触れられたら嬉しいです。

ところでこの「イリアス」。紀元前800年ころ、ギリシャアルファベットがフェニキア人からギリシャにもたらされ、ギリシャがミケーネ文明以来の文字を保有する社会へと変わろうとしていた頃、偉大な詩人ホメロスにより作られたとされています。非常に長い叙事詩で、岩波文庫でも2冊に分かれており、その一冊ずつも相当に分厚いものです。もっとも、ホメロスの時代はアルファベットがそれほど浸透していない時期であるため、百年は口頭で歌われ継がれたとされています。紀元前5世紀ころに、アテナイ僭主ペイシストラトスにより本格的に編纂、文体化されたそうです。その後もエジプトから輸入したパピルスを用いて写され、中世を通してパピルスや羊皮紙に書き写され続けたことで我々がその内容を知ることができます。

パピルスはもろく、100年程度で朽ちてしまうため、書き写し作業は中世を通して行われました。紀元後には羊皮紙という、より丈夫な紙ができたため、相当長持ちしたそうですが、それでも書き写しは継続されました。前半の1000年はパピルス、後半の1000年は羊皮紙で書写され続けたそうです。

古代の作品は今にも数多く伝わっているとはいえ、失われた作品の方が圧倒的に多いことでしょう。中世という、生き残ることすら厳しい時代、古代の書物を残すことだけに力を注ぐわけにもいきませんから、どの書物を書き写すか、当然、取捨選択はされました。その中でも、ホメロスのイリアスとオデュッセイアは特に後世に残すべく、選択されたことでしょう。

中世で書き写しを行った人は、主にビザンツ帝国(後期ローマ帝国(東ローマ帝国))内の修道院の修道士たちです。ローマ帝国が東西に分裂した後、東ローマ帝国はもともとギリシャ人の植民都市であったビザンティオンを首都として発展しましたが、その担い手はもはや純然たるローマ人ではなく、ローマ人を名乗るギリシャ語を話すギリシャ人たちでした。そして宗教は、キリスト教です。キリスト教の教えにそぐわない書物は書き写されないどころか、燃やされたものもありました。

ともあれ、キリスト教の修道士たちが、大昔の異教の神を崇めるイリアスの書を伝え続けたことは驚くべきことです。信仰はどうであれ、後世に継がなければならない価値を認めざるを得なかったのでしょう。

ハーバード大学のプロジェクトにより私たちはこの貴重な写本を簡単に見ることができますが、写本自体にも歴史があること、そしてこの書き写しをした修道士たちの心境などにも、思いを巡らさずにはいられないのです。