ツキュディデス「歴史」輪読開始!

さて、今月からツキュディデス「歴史」の原典輪読が開始した次第ですが、このコースは実のところ数年前から始まっています。
私を含め昨年からギリシャ語を始めた人は輪読は初心者です。そうした人のために、この半年間はクセノフォン「スパルタ人の国制」を読むという形でギリシャ語を読解する練習をさせていただいていました。

というわけで、この「歴史」の途中から読むということになりました。とはいえ、まだ第2巻の59節からということ(全体的には8巻からなります)。有名なペリクレスの演説の直前から始まりました。

実は日本語でも「歴史」を読んだことはありませんでした。ヘロドトスの歴史を読んで古代ギリシャにハマった者としてお恥ずかしい限りですが、しかしながら、初めてしっかり読んだツキュディデス「歴史」の文が古典ギリシャ語そのものであったことは幸せです。

さて、この「歴史」ですが、紀元前5世紀後期のギリシアの雄アテナイVSスパルタの直接戦争を、当時アテナイ側の将軍として戦争にも参加したツキュディデス自身が綴ったものです。

ペルシャ戦争で、ギリシャ連合軍が超大国ペルシャを破って、ギリシャに平和と繁栄をもたらした事実について触れた後、その立役者となったアテナイと、もともとのギリシャの大国スパルタ間の緊張、冷戦、代理戦争、そして直接戦争へと話を進めます。どこかで聞いたことのあるような話ですね。第二次世界大戦後のアメリカとソ連の対立の経緯と瓜二つです。もっとも、後者については、核兵器の存在もあって、直接戦争は免れていますが。。

ツキュディデスは第1巻の22節で次のように語っています。

「私の記録からは伝説的な要素が除かれているために、これを読んでおもしろいと思う人は少ないかもしれない。しかしながら、やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかつてのごとき、つまりそれと相似た過程をたどるであろうから、人々が出来事の真相を見きわめようとするとき、私の歴史に価値をみとめてくれればそれで充分である。」(「トゥキュディデス 戦史」久保正彰訳 中央公論新社)

今後数年にわたって、この「歴史」を読み込むことができるという機会を得られたことは本当にラッキーです。ツキュディデスの言うところの「人間性」に少しでも触れられればと思います。

古典語読解は第2巻の59節からですが、それまでの部分を日本語で読んでみた際、はっとさせられる文に出会いました。ペリクレスの葬礼演説(第2巻35節)に書かれていた部分です。最後に引用します。

「他者への賛辞は聞き手の自信を限界とし、その内にとどまれば素直に納受されるが、これを越えて賛辞を述べれば、聞き手の嫉妬と不信を買うにとどまる。」(同)

古典ギリシャ語続行中

久々の投稿となりましたが、元気に古典ギリシャ語を続行しています。

これまで、4月以降半年にわたって、ソクラテスの弟子クセノフォンの書いた、「スパルタ人の国制」を輪読してきました。輪読コースの先生がおっしゃるには、クセノフォンは今でいうところのジャーナリストのような存在だったそうです。実際に読んでみると、なるほど、物事を客観的に淡々と語りつつ、少しばかりの評価をする。けれども事実の叙述が中心で、深い思索を探求するといった姿勢ではない。

内容としても興味深いところが多かったです。スパルタ人の結婚、出生、成長、教育、軍隊、そして王について順序立てて説明していくもので、紀元前400年ころのスパルタの制度を研究する資料としても重要な文献といえるのではないでしょうか。

ただ、非常に読みづらい。。ギリシャ語は冠詞が非常に重大な役割をもっていたり、語尾変化が豊富であるおかげで、相当に規則性が高いのですが、この作品は非常に技工的な感がありました(もっともしっかりと原典を読んだのはこれが初めてなのですが。。)。それゆえ、内容自体を楽しむという余裕はなく、文の構造を把握するのに尋常ならぬ手間がかかりました。

特に私は輪読コースは初心者でしたので、スムーズな発表ができず、ギリシャ語のベテランの方々に非常に迷惑をおかけしてしまったかもしれません。

先生がおっしゃるには、中途半端な辞書を使ったり、日本語訳を読みながら解読していくのは、力を伸ばさないとのこと。そこで私も当初はLSJのintermidiate(要するに大学のギリシャ語学習者において最も使用されている辞書)を使用していましたが、働きながら夜にちょっとカフェで予習する程度の時間しか取れない私には限界がありました。複数の辞書をPDF化してタブレットに読み込ませたりして様々な制約を取っ払おうと努力しましたが、なかなか最後までしっかりとした予習はできなかったかもしれません。日本語訳にもだいぶお世話になってしまいました。

そこで、つい先日、有料自習室を借りることにしました。ここのロッカーに辞書を入れ、平日の夜や休日に「ギリシャモード」になれる環境を作りました。これからはしっかりと予習ができるかもしれません。

10月に入って、ツキュディデスの書いた「歴史」がスタートしました。実は先生が「スパルタ人の国制」を選んでくださったのは、この書物を読むためでもあります。ご承知の通り、ツキュディデスの「歴史」は紀元前500年後期のアテナイVSスパルタの世紀の大戦争を叙述したものです。もう想像するだけでワクワクしてしまう内容ですが、この戦争を理解するためには、スパルタの国制というものも理解しないといけないわけですね。

私たちの日本はどちらかと言えば民主政のアテナイに近いですし、古典期に作られた文芸はほとんどアテナイのものですから、アテナイについては馴染みやすいでしょう。しかしスパルタについては、そのポリス名が既に抽象名詞化していることからも分かるとおり、少々理想化というか、幻影化されている風が否めません。その当時のスパルタについて、当時のギリシャ人が書いた書物を通じて学ぶことで、スパルタというポリスの実像に一歩近づけたのではないかと思います。ツキュディデスの「歴史」の理解にも役立ちそうです。

もっとも、「スパルタ人の国制」を読んでいると、ちょっと誇張されているところがありそうだとは思いました。なにせ、当時のアテナイの民のために書かれたもので、スパルタの実情を良く知らない人をちょっと驚かせてやろうという、物書きにありがちな下心はあったでしょう。なのでクセノフォンが述べるスパルタが、本来のスパルタであったかどうかはまた別の話かもしれませんね。

それでも、スパルタについて何も知らないままツキュディデスを読むのとは全然違うことでしょう。これからが楽しみです。今後は、輪読のペースに沿って、ツキュディデスの「歴史」についても、このブログで述べていければと思います!