アルファベットの起源とは?

古典ギリシャ語と悪戦苦闘している私ですが、メタ語学と言いますか、言語自体の成り立ちというのも調べてみるとたのしいです。

私が好きなシリーズに、大英博物館双書というものがありますが、それは副題に「失われた文字を読む」とされていることから分かるように、現在では話されていない古代の言語に着目したものです。古代エジプトのヒエログリフから、メソポタミアの楔形文字、古代ギリシャ語(ミケーネ時代の線文字Bも!)、そしてマヤ文字やルーン文字に至るまで、人気の高い古代語の成り立ちや文字の特徴、言語の概要などを解説してくれています。

その中でも、「初期アルファベット」の一冊は、私が今学んでいる古典ギリシャ語の表記にも直接関連するものであり、心を揺さぶらされるところが大きかったです。もっとも、訳が悪いというより、もともとの欧米学者の書いた原典の記載が難解なのでしょうけど、時おり意味を把握するのが困難な箇所もあります。ですが、実際に発掘された資料を載せてくれていたり、各地方で使われていたアルファベットとの対比表や、アルファベットの系譜図などもあり、視覚的にもとても楽しめました。

現在私たちが使っているアルファベット。これはもともとギリシャアルファベットから来ており、エトルリア経由でローマ人により採用されたことは有名です。ローマ帝国の拡大により、ローマ帝国崩壊後も、ラテン語(ローマ人の言語)の直系子孫であるロマンス諸語(イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語など)、ゲルマン語(ドイツ語、英語、北欧語)などに採用されています。ロシアや東欧のキリル文字も、ギリシャアルファベットから来ていますね。

それでは、このギリシャアルファベット自体はどこから来たのでしょうか

それは、ローマ帝国が地中海の覇権を握るずっと前から、地中海交易で栄えたフェニキア人たちの使っていたフェニキア文字です。フェニキア人は、今で言うところのシリアやパレスチナの沿岸地域に居住していました。紀元前15世紀ころから地中海沿岸に植民都市をいくつも建設し(これはその後のギリシャ人にも似ていますが)、遠いところではスペインのあるイベリア半島にも都市を作っています。

フェニキア人は航海の民であり、商業の民でもあります。ですので、非常に実利志向が高かったのでしょう。フェニキア文字は、簡潔に抽象化・記号化し、容易に筆記できる形へ発展していきました。紀元前1050年ころには、フェニキア文字が確立されていたようです。

ギリシャ人は、このフェニキア文字を取り入れたのです。アルファベットがフェニキア文字からもたらされたことについては、紀元前5世紀のギリシャ人歴史家ヘロドトスの記述にもあります。初期のギリシャアルファベットとフェニキア文字を見比べると非常に酷似していることがよくわかります。最も古いギリシャアルファベットの資料が紀元前750年ころのものとのことですので、それより少し前くらいに取り入れられたということでしょうか。

もっとも、取り入れられた具体的な経由は明らかではないそうです。ギリシャ神話上の伝説では、テーバイの創始者カドモスがアルファベットをもたらしたとのことですが、実際はどうなのでしょう。伝説も、事実や歴史が基盤になっていることも多いですから、テーバイの交易従事者がもたらしたのかもしれませんね。ギリシャの東部、アテナイやエウボイア島の古いアルファベットが特にフェニキア文字に似ているように思えるので、エーゲ海交易の中で、ギリシャ側の交易従事者によりもたらされた可能性は高いのではないでしょうか。

もちろん、ギリシャ人は、フェニキアのアルファベットを、使い方を含めてそのまま受け継いだわけではありません。フェニキア人はセム語系であり、ギリシャ人はインドヨーロッパ語系です。言語の体系からして異なります。ギリシャ人が特に取り入れたのは、アルファベットの哲学といってもいいかもしれません。その哲学とは、あらゆる言葉の発音を、できる限り少ない記号で全て表記しきってしまうことです。実は、フェニキア文字には母音がありません。母音は文脈から判断します。つまり、全て子音です。ギリシャ人たちは、自分たちが子音では使わないフェニキアの文字を、自分たちの母音に換えて利用しました。これにより、全てのギリシャ語をアルファベットで表記できるようにしたのです。ギリシャ人は、アルファベットの哲学を完成させたものといってよいでしょう。現在の英語は、知らなければ読むことすらできない単語が多くありますが、古代ギリシャ語にはそれはありません。

ところで、フェニキア文字からアルファベットを取り入れたのは、ギリシャ人だけではありません。古代のアラム文字やヘブライ文字にも取り入れらえていますし、アラム文字はアラビア文字に受け継がれています。そう考えると、このフェニキア人たちの後世への影響力はすごい!ローマ共和国を破滅寸前にまで追い詰めたハンニバルを生んだ古代カルタゴが、フェニキア人たちの都市であったこともうなづけます。

最後に、それではこのフェニキア文字が一体どこから来たのかについて。

大親は、エジプトのヒエログリフが有力のようです。その証拠の一つが、アルファベットの「Α」。ギリシャ語では、「アルファ」と言いますが、「アルファ」という言葉はギリシャ語ではなんの意味ももたない単語だそうです。「アルファ」は、セム語系で「雄牛」を意味します。Αを逆さまにして眺めてみてください。二本のツノが生えた逆三角形の顔立ちの牛の姿が見えてきませんか?

イリアスの10世紀写本がネットで見られた!

今は素晴らしい時代です。こういうことを率先してできる欧米の大学はやはり進んでいるものと言わざるを得ません。古代ギリシャや古代ローマを自分たちの古典とみなしている彼らとしては当然なのでしょうが(なお、古代ローマ人もまた、古代ギリシャを自分たちの古典と位置付けています)。

ハーバード大学の運営するプロジェクト、‘Homer Multitext project’では、10世紀ころに書き写されたイリアスの写本をネット上で見ることができます。その画像は極めて鮮明で、実物を間近で見たときとほぼ変わらない程度です。画像を拡大すると細かい筆圧や筆の使い方を確認できます。

homermultitext.org
イリアス写本

この画像をオープンにすることで、できるだけ昔に遡った原典に近いイリアスを後世に残すこと、そして研究者の研究に資することを目的としているようです。本当にすばらしいですね。古代ギリシャ語の勉強が進んだのち、ぜひこの中世写本それ自体を読むことで、古代のすぐれた作品の真髄に触れられたら嬉しいです。

ところでこの「イリアス」。紀元前800年ころ、ギリシャアルファベットがフェニキア人からギリシャにもたらされ、ギリシャがミケーネ文明以来の文字を保有する社会へと変わろうとしていた頃、偉大な詩人ホメロスにより作られたとされています。非常に長い叙事詩で、岩波文庫でも2冊に分かれており、その一冊ずつも相当に分厚いものです。もっとも、ホメロスの時代はアルファベットがそれほど浸透していない時期であるため、百年は口頭で歌われ継がれたとされています。紀元前5世紀ころに、アテナイ僭主ペイシストラトスにより本格的に編纂、文体化されたそうです。その後もエジプトから輸入したパピルスを用いて写され、中世を通してパピルスや羊皮紙に書き写され続けたことで我々がその内容を知ることができます。

パピルスはもろく、100年程度で朽ちてしまうため、書き写し作業は中世を通して行われました。紀元後には羊皮紙という、より丈夫な紙ができたため、相当長持ちしたそうですが、それでも書き写しは継続されました。前半の1000年はパピルス、後半の1000年は羊皮紙で書写され続けたそうです。

古代の作品は今にも数多く伝わっているとはいえ、失われた作品の方が圧倒的に多いことでしょう。中世という、生き残ることすら厳しい時代、古代の書物を残すことだけに力を注ぐわけにもいきませんから、どの書物を書き写すか、当然、取捨選択はされました。その中でも、ホメロスのイリアスとオデュッセイアは特に後世に残すべく、選択されたことでしょう。

中世で書き写しを行った人は、主にビザンツ帝国(後期ローマ帝国(東ローマ帝国))内の修道院の修道士たちです。ローマ帝国が東西に分裂した後、東ローマ帝国はもともとギリシャ人の植民都市であったビザンティオンを首都として発展しましたが、その担い手はもはや純然たるローマ人ではなく、ローマ人を名乗るギリシャ語を話すギリシャ人たちでした。そして宗教は、キリスト教です。キリスト教の教えにそぐわない書物は書き写されないどころか、燃やされたものもありました。

ともあれ、キリスト教の修道士たちが、大昔の異教の神を崇めるイリアスの書を伝え続けたことは驚くべきことです。信仰はどうであれ、後世に継がなければならない価値を認めざるを得なかったのでしょう。

ハーバード大学のプロジェクトにより私たちはこの貴重な写本を簡単に見ることができますが、写本自体にも歴史があること、そしてこの書き写しをした修道士たちの心境などにも、思いを巡らさずにはいられないのです。

 

私が古代ギリシャに恋した理由。

まさか社会人になって古代ギリシャにはまり、しかも英語も中途半端であるのに、古典ギリシャ語を学ぶようになるとは、つい2年前までは考えられませんでした。

私が古代ギリシャにはまったきっかけは、本当に偶然で、なんら計画されたものではありません。人生なんて全てそうなのでしょう。

平成25年の秋ころですが、仕事の合間、近くの本屋へ行ったときでした。仕事で少々疲れていたこともあり、少し自分を見つめ直したいという気持ちもあり、言わば本から何か新鮮な刺激を受けることを期待していました。

本屋に着くと、あまりにもおびただしい本が並んでいる。

こんなに世の中に本が必要なのか?たかだか80年の人生、いや、寿命的にはたかだか50年しかないのに、こんなに読み切れるはずがない!そう思って足を向けたのは、岩波文庫のコーナーでした。

どこかで、迷ったら岩波文庫の本を読めばいいと聞いたことがあります。岩波文庫は読むに値する人類の遺産ともいうべき本しか置いていないからです。ですから、何か読むに値するものを読みたいと思えば、その中から自分の興味が湧きそうなものを読めばいいのだと思います。

そして、私がその時にたまたま手に取ったのが、ヘロドトスの「歴史」

ヘロドトスの名はどこかで聞いたことがある程度で、それに記載されている内容についてはよく知りませんでした。

目次を見てみました。その章立てをみると、「第1章」に当たるはずのところが、「クレイオの巻」。

ク、レ、イ、オ、、、、、!!!??!?

今ではギリシャ神話のゼウスの娘たちであるムーサイの一人であることは分かりますが(英語のMUSICやMUSEUMの語源)、この出だしの可笑しさから興味が湧き、自分の知らない豊かな世界がそこに広がっていることを直感しました。そして、とりあえずその上巻を読んでみることにしたのです。

そこに書かれていたのは、紀元前500年より前の歴史。小アジアのハリカルナッソス出身のギリシャ人ヘロドトスからみた、当時の小アジア地方、エジプト、そしてギリシャの風習でした。そして、ギリシャ神話の英雄に次ぐ英雄を生んだペルシャ戦争へと筆を進め、その戦況を迫真さをもって綴っています。民族、ポリス、制度、そして個々の魅力あふれる人間たち。

豊かな世界がそこにある。

私は人生をそれに費やすだけの価値があると確信しました。そして、古代ギリシャをやるなら、古代ギリシャでしゃべられていた言語も学びたいと思いました。その結果、今は、古典ギリシャ語に目下夢中です。2500年も前に使われていた言葉を、遠く離れた時代と場所にある現代日本で学ぶだなんて、なんか素敵じゃありませんか。

古典ギリシャ語で様々な原書を読み、人間の本質に触れていくこと。それが今の私の喜びになっています。